旧車カタログ博物館 トップページへ戻る: ホンダ ドリーム号 C70 1958年型 高出力18馬力 2気筒4サイクルのエンジン 軽くて容易な始動 前輪はリーディングリンク式ピボット型クッション 現金正価169,000円.
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Z400FXで、先陣を切ったカワサキが、追従してくる他のメーカーを振り切るために投入したバイクです。後継モデルGPZ400が発売される1983年までの短命モデルになってしまいました。もう一つ旧車會と名乗って集まるミーティングがあります。こちらも、ほとんど旧型の古いバイクが多いので旧車ではありますが、バイクの様子と、オーナーがかなり異なってきます。ロードパルを名車に上げるなら、その対抗馬も挙げなければなりませんね。角型断面のアルミクロスフレームを用いた、ロードスポーツタイプのバイクです。エンジンは16バルブ化されて、高速回転型エンジンとなり、最高速度は205km/hに達します。1980年代のバイクブームの中で、最も売れたバイクです。GSX400Eの2気筒モデルに、スズキ初のDOHC4気筒エンジンを搭載したモデルです。先行するカワサキ Z400FZを追撃するために造られたモデルです。1985年放映のTVドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で、南野陽子演じる主人公の五代陽子(2代目麻宮サキ)の愛車でした。女性ライダーにも購入者が広がったそうです。どちらかと言えばクルマ中心の展示になります。バイクの数は少ないです。発売から1年経過しても、注文から納車まで3か月待ちとなるほどのバイクでした。走行性能は当時の400ccクラス同等以上であり「400キラー」の別名も持っています。現在でも世界全体で、ホンダのトップセールを誇る、昭和を代表する名車です。最新モデルは、燃料噴射式エンジンを搭載しています。シートがホンダカラーの赤色になっていました。それでは、このラビットスクーター以降に登場した、昭和を代表する名車を見ていきましょう。まずは、バイクブームが始まる、ずっと以前(1950~60年代)の名車です。その後、サーキット族、街道レーサー、ナナハン族などが誕生しています。1946年(昭和21年)になり、あの本田宗一郎氏が陸軍で使用していた、無線機用小型エンジンを自転車に取り付けて試走したのが、昭和のバイク生産の始まりだと言われています。1972年に海外向けに発売した、排気量903ccのZ1を、当時最大排気量規制されていた日本国内で販売するために、750ccにしたZ2を1973年に発売しました。別名は、カワサキ 750RSとも呼ばれています。現在は、「3ない運動」は、裁判で違憲という判例が出ています。しかし校則で未だ免許取得禁止としているところが殆どのようです。1980年代初頭、ホンダにはCBX400Fが存在していたが、ライバル各社に対抗するためにモデルチェンジを敢行し、このCBR400Fを1983年に発売しました。1984年には、ハーフフェアリング、アンダーカウルを装着した、エンデュランスが発売されました。日本で初めて累計10万台を販売しています。1986年にはグッドデザイン賞を受賞。現在でも、基本設計が同一のエンジンを搭載する後継モデルが販売されています。旧車会は、バイクミーティングと同じ場合の場合がありますが、基本的に現在販売していない古い年式のバイクオーナーが集まって行う、ミーティングです。グラフは原付を除いた販売台数の推移を表しています。グラフから1979年から1988年の間にピーク(赤+緑)があることが解ります。これが、昭和の時代に起こった「バイクブーム」を現しています。2ストロークエンジンのヤマハという概念を確立させたのがこのバイクです。国産バイク初めての5速マニュアルミッションを搭載したスポーツモデルです。このころの2ストロークエンジンは、燃料とオイルをあらかじめ混合して補給する必要がありました。1970年代後半より、日本では空前のバイクブームが到来します。1969年から週刊少年キングに連載されていた漫画を、ドラマとして1972年から放映しました。超法規的警察官として様々な分野からスカウトされた7人のアウトローが、法では裁けぬ悪党を逮捕ではなく処刑するという内容でしたね。アクセルとブレーキは、クルマのようにフロア部分についていました。昭和の歴史は、バイクの歴史と言っても過言ではありません。日本のバイク産業は、昭和の初期に始まっていました。これが当たって、爆発的なヒットになりました。当時原付免許は、講習と筆記試験だけで取得できたため、地方のバイク屋さんでも講習会が頻繁に開催されて、免許取得を促進したことも原付バイクが浸透した原因の一つです。「フォア」「ヨンフォア」と呼ばれているモデルです。CB750Fourの400cc版です。このモデルが登場した翌年に、バイク免許制度が変更されます。408ccでは、大型二輪免許が必要となったため、1976年には398ccの排気量ダウンさせたモデルとしてマイナーチャンジされました。排ガス規制が厳しくなる中で、最後の2ストロークスポーツモデルを作る発想から開発されました。エンジンはレーサーモデルからの転用、リヤサスはカンチレバータイプ、大型ハロゲンランプなど最先端アイテムを装備していました。しかし、昭和40年代後半になると、二輪車免許取得人口が急激に増え、また低排気量の手ごろな価格のバイクも発売されたことから、多くの2輪ライダーが誕生します。「そうそう!、あった、あった!」「このバイクで走った海岸線は、気持ちよかったなぁ」など、いろいろな思い出がよみがえってきませんか?一方で、250ccから400cc未満の中型のバイクに人気が集中していきました。バイクメーカー各社は、大型バイクが売れなくなった分をリカバリーするだけの市場開拓が必要になったのでした。1983年には、ビキニカウルを装着したカタナも発売され、TV番組の西部警察でも使われていました。スズキ初の大排気量の4ストロークエンジンを搭載したモデルです。写真はGS400E。ダイキャストホイールを装備したバイクでした。昭和30年後半から40年、1960~1970年にかけて、公道をオートバイで高速走行するグループが現れました。不良系の若者も、バイクに乗って暴走や抗争を行うようになります。いわゆる暴走族の誕生です。後述しますが、事故で亡くなる若者も増え始め、若者の無謀運転が社会問題化してしまった時代です。昭和のバイクブームのピークとなった、1980年代の名車を見ていきます。通称「ペケジェイ」人気となっていた、カワサキZ400FX「エフペケ」の対抗馬として、ヤマハ初の400ccの4気筒モデルとして発売されました。しかもヤマハのエンジン技術を示すために、400ccとしては初のDOHCエンジンを搭載しています。1969年に小説が発刊されて、1982年に映画化されたのが角川映画の「汚れた英雄」でした。一般的にはなじみのなかった、バイクレースの世界を描いた作品でした。草刈正雄がめっちゃかっこよかったですよね。バイクミーティングとは、メーカーや全国各地にある同好会などが主催し、同じ型式のバイクオーナーが集まってツーリングを楽しんだり、イベント的なことを行うものです。1年中各地で開催されていて、検索すればたくさんヒットしてきます。ホイールは、メンテナンスフリーのコムスターホイールがCB750Four2に続いて装着されたバイクです。教習車にも採用されていたため、中型免許取得時に教習所で乗ったことがある方も多いと思います。1978年に、MONKEYの派生車として、兄貴分となるGORILLAが登場しました。当時の子供や若者が、バイクに憧れを抱くようになった原因の一つと考えられます。筆者も昔は前者で見ておりましたが、最近はウイルスなどの危険を感じて後者で見るようにしています。方法はご自身で選択してくださいね。速く走るために、バイクの改造を行い、特にマフラーの芯抜きなどを行うために、エンジン音が迷惑レベルの騒音でした。このバイクの最大の特徴は、Vブーストシステムという、エンジン回転数に応じてシングルキャブからツインキャブになり吸入混合気の量を変化させて大出力を得るシステムを搭載していました。翌年には、専用の小型エンジンを搭載した「原動機付自転車」を完成させています。バイクを、日常の足として使ってもらうためにと、ホンダが出した傑作です。CMには、ハリウッド女優のソフィアローレンを起用しました。愛称は「ラッタッタ」でした。1975年に、免許制度の変更が実施され、この後のバイク業界に異変を起ったのです。かつて暴走族などの反社会的集団を構成していた人たちが、昔を懐かしみながら改めて暴走する行為を行うもので、近年になって増加傾向にあります。バイクブーム最盛期に、カワサキとヤマハに4気筒モデルでは先行を許してしまったホンダが、巻き返しを図るために投入したモデルです。最も後発だったので、エンジン出力は48psとクラス最高スペックを与えられました。フロントブレーキは、オートバイでは世界初のカバーが付いたディスクブレーキを採用しています。筆者も、もう20年バイクに乗っていませんので、記事を書いている最中に、無性にバイクに乗りたくなってきました。欧州向けのZ500を、日本向けに排気量を400ccにして発売したモデルです。1977年にホンダ CB400Fourが生産終了していたため、中型車には4気筒モデルがありませんでした。赤と白を用いたカラーリングは日の丸をイメージしており、その後のホンダのイメージカラーとして良く使われています。今でもホンダのロゴは白地に赤字です。水平対向4気筒SOHCエンジンと、リヤホイールはシャフトドライブというメカニズムで1974年に登場しました。当初は、写真のようなネキッドタイプのバイクでしたが、フェアリングやラゲッジを自分で装着するユーザーが多かったため、すぐに、ラゲッジなどの工場装着モデルも登場しました。それまで販売されていた400SS MACH IIの名称変更モデルです。1979年モデルが最終型となり、1982年まで販売されていました。しかし、第2次世界大戦で、日本の国土一面焼け野原になってしまいます。戦後の復興の為の道具として、各地でクルマやバイクの開発・生産が始まりました。カワサキは、吸収合併したバイクメーカー、メグロのK1というバイクに搭載されていた500ccエンジンを改良し、624cc化したバイクです。当時の国産車で最大排気量のバイクでした。バイクの構造も簡単な作りだったので、特殊な工具や技術がない高校生でも簡単に載せ替えが出来てしまうため、改造ベースのバイクとして人気がありました。最新のGOLDWINGのメータ部分の写真です。ナビはもちろん、オーディオや、暖房装置なども装備されています。先行でモデルチェンジをした、CB750Fと同様に、欧州的なスタイリングになったモデルです。(写真の向こう側に見えるシルバーの車体が、CB750Fです。)暴走族(旧車會)・旧車会用の改造車として絶大な人気があるモデルでのため、ノーマルの状態で現存する中古車はほとんどありません。カワサキのGPZの対抗馬として、ヤマハが投入したレーザーレプリカモデルです。37Fという車種コードで呼ばれることもあります。ハイパワーと足回りの良さから、当時のオフロードレースでは圧倒的な強さを誇っていました。バイクの免許は16歳で取得できます。しかし、全国で高校生のバイク事故が頻発し、交通事故死のニュースが頻繁にテレビで報道されていたのです。1952年に、以下の写真のような、ホンダからカブF型が発売されました。どうみても自転車ですよね。ペダルも健在です。通称「サンパチ」最高出力もサンパチでした。3気筒ですが、マフラーは4本出しになっていました。当時の中型免許取得の為に、教習車としてたくさん使われていたため、教習所で乗った方も多いと思います。仮面ライダーの劇場用映画の新サイクロン号にも使われていました。この期間を中心に、様々な昭和の名車と言えるバイクが開発されたのです。バイクによるコーナーリングは、ライダーとバイクが一体にならないと抜けていくことができません。クルマでは味わえない、独特のドライビング感覚です。しかも、風を感じながら、排気ガスにもまみれながら・・・。フレームを共用にして、250ccと400ccのモデルが準備されていました。ホンダのロードパルは、乗車姿勢が自転車に近いバイクでしたが、その対抗馬となるこのパッソルは現在のスクータと同様に、女性がスカートを履いていても乗れると評判になったモデルです。本田宗一郎さんも、そう言って「3ない運動」を批判されていたそうです。この「3ない運動」の影響が出始めて、1983年をピークにバイクの販売台数が減って行きます。2012年で、ピークの1/6しかバイクが売れない時代になってしまったのです。1980年代に入るところで、1つ大きな社会問題が発生しました。400ccの単気筒エンジンのバイクです。独特の「ドコドコドコ・・・」というエンジン音が魅力で、2008年まで基本設計のまま生産された今なお人気の超ロングセラーのバイクです。日本の高性能バイクとして、世界に名を馳せた「ナナハン」世界で初めて、ディスクブレーキを前輪に装備しています。白バイなどにも採用されたバイクです。当時の最先端技術を結集し、25馬力のパワーをもったバイクでした。2ストロークエンジンでは初めての、分離給油方式を採用したバイクです。また、国産車としては初めての6速ミッションが搭載されました。ヤマハ発の4サイクル中型バイクがGXでした。このモデルも、フレームを共通で250ccと400ccのモデルがありました。1978年にアルミのダイキャストホイールをいち早く採用しています。パッと見た目は、すでに族車のようなカラーリングのVT250F。これまで250ccクラスは、400ccクラスのおさがり的な位置づけでした。車検が不要なことなどを追い風に、バイクブームに乗って250ccクラスにも注目が集まり始めたときに発売されました。そう遠くない昔、どこにでもあった風景。あの『昭和』の時代をちょっと覗いてみましょう!Z400GPの後継車として1983年に発売されました。仕様的には、エンジンのパワーアップが図られた以外は、特に大きな変更点はありません。1970年代後半になると、大型車の販売数低下をカバーするべく、おじさん・おにいちゃんのためのバイクではなく、おばちゃん・おねえさん用のバイクを登場させます。HAWK3からのフルモデルチェンジ。基本的なデザインなどは変わっておらず、部品の材質をより高い品質ものにしてクラス初の、トリプルディスクブレーキ・セミエアサスペンションの採用などがおこなわれたモデルです。長編バイク漫画の金字塔「ナナハンライダー」でも主人公が乗っていて人気を博しました。旧車会と旧車會が混同されている場合が見受けられますので注意が必要ですね。レーサースタイルのバイクが全盛の時期に、古めかしいスタイルで登場。レーサースタイル以外を求めるユーザーに支持され、ネイキッドブームの牽引モデルとなりました。折りたたみ式ハンドルを装備して、クルマに乗せて持ち運びができるというコンセプトのバイクです。元々は、遊園地の乗り物用として開発されましたが、凄く好評だったため公道走行可能な装備を取りつけて市販化したモデルです。2003年まで改良を加えながら生産されています。
みなさんのお気に入りの旧車バイクはありますか?古き良き時代のバイクは、多くの人の心を惹きつけて離しません。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキはもちろん、海外にも魅力的な旧車バイクはたくさんあります。そんな歴代旧車バイクの中から、独断と偏見で選んでみました! 昭和の歴史は、バイクの歴史と言っても過言ではありません。日本のバイク産業は、昭和の初期に始まっていました。しかし、第2次世界大戦で、日本の国土一面焼け野原になってしまいます。戦後の復興の為の道具として、各地でクルマやバイクの開発・生産が始まりました。
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