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力石智弘先生の著書『脳TEC漢文(ドゥクエスト)』より、返読文字一覧と「有・無・多・少」の例文を抜粋しました。【例文付き】漢文において返読文字とは、日本語と逆の語順になるため、下から返って読まなければならない漢字のことです。返読文字は、構文・語順を理解し、センター試験頻出の白文問題に対応するためには重要です。本記事では、「有・無・多・少」の例文と意味、読み方、働き、覚え方について、大手予備校一流プロ講師が構文レベルから詳しく解説します。「有」「無」と同類のものとして、「多」「少」も挙げておきましょう。この文には「者」がないので、どこまでが主語かは意味上の判断によります。河合塾、四谷学院など予備校・学習塾で活躍する現役ベテラン国語講師。京大理学部という理系出身こその論理的な解法と多種多様な知識・経験から繰り出される授業は最高傑作と評される。東大模試の作成や、神戸大学個別試験(国語)の解答速報作成(新聞にて掲載)など多岐にわたり活躍中の実力派講師。しかし、「能」だけが主語なのか、それとももっと長いのかは形の上では分かりません。センターの白文問題に対応する実力を付けられるよう、根本的に理解しておきましょう。「花発」のSV構造の下に、「風雨」が「多」いという構造が並んでいます。せっかく花が開いたというのに、風もよく吹き雨もよく降るので、すぐに散ってしまうという惜別の情を述べたものです。訓点の付け方及び書き下し文は次のようになります。漢文(中国の古典語)はもともと外国語なので、日本語とはまったく異なる構文です。特に、動詞(他動詞)と目的語の関係、助動詞と動詞(などの自立語)との関係は日本語と正反対であり、そのため返読する必要がありました。「有益」「無人」のように、「有」「無」という漢字は、その後ろに主語が来ます。 漢文の中でも白文読解は、返り点や読み仮名が排されているという意味で難しいものである。しかし、話の流れを掴む力や句法・単語の知識が備わっていれば、一見ノーヒントの文章でも文の構造が自然と見えてくるはずである。 後述する文型とも関連することだが、返り点を打つ場所はルールがあることを知っておこう。訓読では送り仮名は片仮名で書くが、書き下し文にするときは平仮名にする。漢文中の自立語は漢字で書き、付属語(助動詞・助詞)は平仮名で書く。また、再読文字は最初は漢字で、二度目は平仮名で書く。下の字からすぐ上の字に帰るときに用いる。したがって、下の文は「山に登る」と読む。これは「児孫の為に美田を買はず(訳・子孫の為によい田んぼを買わない)」と読む。この文は「此を観れば仏典の全くは誣ひずして、小説稗官も亦た全くは虚構より出でざるを知る(訳・この話から、仏典の全てがでたらめということはなく、噂や世間話のようなちょっとした話や位の低い役人(が集めたような話)の全てが虚構として生まれたわけではないことがわかる。)」と書き下す。全くの余談だが、漢文の文型を「英語と似ている」と訳知り顔で解説した参考書があれば、それを買うのは止めた方がよい。そういう参考書は大抵ド素人が作った、全編にわたっていい加減な内容のことが多い。現代の日本の学校の漢文教育で使われている漢文の規則は、江戸時代の訓読法を元にして明治時代に整理されたものである(このあたりの事情や歴史に興味があれば『精講 漢文』(前野直彬著・ちくま学芸文庫)などを読んでもいい)。ハイフンは厳密には返り点ではないが、返り点とセットで使われるのでここでまとめて解説する。レ点以外の返り点について熟語のように扱う。この文は「士は以て弘毅ならざるべからず(訳・道を志す者は心が広く意志が強くなくてはならない)」と読む。右から「我花を上野に観る」「人彼を奇才と謂ふ」「沛公(人物)樊噲(人名)を軍門より招く」と書く。もっとも基本となる文。ただし、一部の文字が述語になる場合は述語 ― 主語の語順になる。右から「雨降る」「春去り、夏来たる」「曹操(人名)は乱世の奸雄なり」とよむ。右から「我山に登る」「彼将軍と為る」「知は武より貴し」と書く。現代の返り点も、あくまで日本人が読みやすくするために、明治維新の以降の国語(日本語)教育で制度化されたものである。だから、返り点の位置を暗記する必要は無い。漢文の書き下し文の文意のほうを覚えるべきである。二字以上へだてて上に返って読むときに使う。下の文は「我書を学ぶ」と読む。一・二点をつけた句を中にはさんで上に返って読むときに使う。上点・中点・下点の順に読む。「~に・より」で返読する場合は前置詞(置き字)の「於・于・乎」のどれかを置く。ただし、省略することもある。「是れ百獣の走る所以なり(訳・これが多くのケモノが逃げた理由である)」と読む。多くの参考書にも掲載されているため、ここでもとりあげるが漢文の文型を暗記する必要は無い。あくまで漢文の構造をつかむ手がかり程度のものとしておきたい。また、「~なり」「~あらば」「~ずんば」などの書き下し文の送り仮名も、定期試験対策でなければ細かな言い回しの暗記は不要である。基本文に補語(~に・と・より)をつけたもの。補語になれるのは体言とそれに準ずるもののみである。漢文は元来、中国の文章である。また、現代のように句読点やカッコのルールがあったわけではないので、後世の日本人研究者たちが読みやすくするために句読点などをつけたものが「漢文」として紹介されていることにも注意。基本文に目的語(~を)をつけたもの。目的語は体言とそれに順ずるもののみで、場所は述語の後が原則だが、疑問代名詞が目的語になる場合は語順が逆になる。なお、高校では三点が登場することもあるので、それも見てみよう。そのためもあってか、学校の漢文では、漢文の発音では原則として歴史的仮名遣いを使い、文法も古典文法を用いる。上・下点を付けた句を中にはさんで上に返って読むときに使う。または、例文のように上・下点では返り点が足りないときにも使われる。甲点・乙点・丙点・丁点の順に読む。 漢文(中国の古典語)はもともと外国語なので、日本語とはまったく異なる構文です。特に、動詞(他動詞)と目的語の関係、助動詞と動詞(などの自立語)との関係は日本語と正反対であり、そのため返読する必要がありました。返読文字とは、そのような「他動詞」や「助動詞」以外に、日本語と逆の語順になる漢字のことです。 入試で頻出となる返読文字は以下です。 以下では覚えるためのイメージ付け、例文を解説していきます。 今回は、① 有無を表す表現 …「有」「無」「多」「少」の解説をして … ここでは漢文の読み方について解説する。返読文字と再読文字については別ページとしている。ここでは、返り点と 基本文型、その他の基本事項のみ扱う。なお、本稿では横書きとなるので、上付き文字に送り仮名、下付き文字に返り点を打っている。 優先して、重要なもの、知っていて当たり前のものから解説していきたいと思います。基本的には覚えることが中心ですので、細かい説明は少ないかもしれませんが、それは勘弁してもらって、試験前にざっとでもながめてもらって、実際の試験で出ればいいなあと思います。 漢文の受身の形と使役の形について説明します。 まず受身の形について説明します。 受身の助動詞『見』『被』 受身の助動詞『見』『被』を使った受身の形を紹介します。 受身の助動詞『見』『被』 ・読み方 … ・漢文の否定表現~不・無・非~書き下し文と読み方 ・ 置き字の意味・使い方・よみ方・一覧 テストに出ます , 再読文字 , 宜 , 須 , 猶 , 盍 , 再読文字の一覧 , 宜の読み方 , 宜の意味 , 須の読み方 , 須の意味 , 猶の読み方 , 猶の意味 , 盍の読み方 , 盍の意味 , 「有」は客語を取る動詞でありますが、日本語では客語を主語の如く訳します。「汝言有理」は「お前の言葉には理が有る」の如くするのです。しかし文法上はどこまでも客語です。金が有るは「有金」、能が有るは「有能」の如し。「以頭戴釜」は「頭を以って釜を載す」と訓みます。ひっくり返して「戴釜以頭」とすれば「釜を載せるに頭を以ってす」となります。意味は同じで、頭という方法で釜を載せるのです。「頭に載せる」ということを「頭で乗せる」という形式に於いて表しておるのです。裁判で無罪となったため喜んで、頭に釜を載せて帰っていったというのです。我蹇也毎控地而行非手則不能寸進何得持釜去也汝言有理我知告者為妄也盗喜即以頭戴釜而去自分の考へでは、文法研究も説明も文章論から入るが善いと思ふ。此れには反対論もある様であるが自分は固く之を信ずる。(註)「或」は副詞で修飾語でありますから、被修飾語の前に冠するのです。(註)「如、若、猶」はみな「似る」の意。花に似る ⇒ 如花(花の如し)、親に似る ⇒ 如親(親の如し)客語が動詞のあとに来ます。日本語と語順が異なるのはこれだけです。否定の「不」なども日本語と語順が異なるように感ぜられるかもしれませんが、「不」は副詞で修飾語でありますので、被修飾語の前に置かれるのです。「不の字に美人だ」などと同じ心持です。また使動(使役)を表すに、日本語では「悪人に殺させる」の如く動詞の後ろに助動詞をつけますが、漢文では「使」という修飾語を使って、「悪人にやらせるという方法で、殺す(使悪人殺、悪人をして殺さしむ)」という形式で表現するのです。すなわちこれも文法的には日本語と同じ語順なのです。異なるのは動詞や前置詞の後ろに客語が来るということばかりです。「使悪人殺」の例で申せば、「使悪人」は「殺」に対して修飾語であるので日本語と同じ成分配列でありますが、「使」の後ろに「悪人」という客語が来ている点は日本語と反対である、とはいえます。漢文の実力を附けるには初手から白文を使って勉強することです。上記のようなものをいきなり読むのは難しく思われるかもしれませんが、訓点附きの漢文を読んでもあまり勉強にはならないのです。詞と詞との関係を一々考えながら読むこと自体が勉強なのです。著者は滋賀で旋盤屋をやってます。1983年生まれ。早大法学部中退。2018年、高所ガラス清掃を辞めて大阪のバルブ商社入りましたが、滋賀の関連会社に左遷。2019年、旋盤で独立。漢文は自己流ですので悪しからず。第一の理由は、事物の研究は凡て粗より細に、全体より部分に及ぼさねばならない。それが極めて自然のことである。例へば家屋に就いて調べるのでも、外形や大体の構造、用途等から調べてはじめて間取り、材料等に及ぶのが自然である。まづ最初に局部局部が木か石か金か土かコンクリートかを調べて、然るのちに大体の構造などのほうに及ぶといふことは不自然である。更に一つ例を挙げて言へば、我々は如何なる順序で鳥や獣などに関しての知識を得るかといふにその外形から始めて、後に解剖的の部分部分に及ぶではないか。文法とても同様である。我々は、普通、単語を切れ切れに談話するのではない。即ち口で言ふのも、耳で聞くのも、共に一の文sentenceであって、単語は文の一成分としてのみ価値があるのである。それでまづ其の文について一通りの研究調査を試みて、然る後これを構成する一部一部の単語に進むのが極めて自然である。品詞論を後回しにする為に生ずる面倒も絶無ではないが、仮に一歩を譲って品詞論から入る困難と、文章論から入る困難とは、相殺されるとしても、或る人たちの懸念する様に、品詞の知識のないものに文章論がどうして分かるか、などといふやうな事は断じてない。ここでは文章論というほど大げさなものではありませんが、一通り漢文の構造を述べておきたいと思います。品詞については入門の段階ではあまりうるさく言うべきではないでしょうから、先に文の構造を扱うのです。説明の過程で品詞名が出てくることもありますが、あまり深く考えず、名詞と云えば「草木山川」の如き単純なもの、「本を読むこと、子供が親によく孝行すること」などの如き複雑なもの、動詞と云えば「泣く、笑う、食べる」の如き単純なもの、「泣いて笑う、月が東山の上に出づ」の如き複雑なものを観念していただければ、それでよいです。特に複雑なもののほうの考え方には慣れておいてください。松下文法に所謂「連詞的品詞」です。(註)「莫」は動詞。「于」も理論上は動詞でありますが、今は単に前置詞と考えるもよい。いづれにしても客語(不知足)が後ろに来ておることに変わりはありません。実は漢文特有の構造はこれに尽きるのでありまして、あとは国文法なり英文法なりの知識を応用してゆけばよいのです。たとえば「~べし」の如き意を表す「可、當、應、合、宜」などは国文法の助動詞とは異なり、皆英文法の助動詞(auxiliary verb)に当たるもので、shuold、mustなどと同様に心得ておけばよいのです。「可」と云えば、「~するに可なり」の意で「~す」の部分には実質的意義を表す動詞が来るのです。「可食」と云えば「可」も動詞で、「食」も動詞なのです。「食」は動詞でありますが「可」に対して客語です。こういう形式動詞の類は其の都度覚えてゆけばよいです。最後に少し練習して終わりましょう。「蹇(けん)」はちんばのこと。「毎」は副詞(前置詞)で「つねに」の意。「非手則」は「手にあらずんば、または手にあらざれば則ち」と訓み、「手でない場合は」の意。「不能」は「~する能(あた)はず」と訓み、出来ないの意。「能」も其の後の「得」も可能を表す動詞で客語を取ります。ここでは「寸進」というのが「寸進する」の意の動詞。「寸」は「進」に対する修飾語。「進寸(寸を進む)」とすれば「寸」は「進」に対して客語。「何」はどういうわけあいあっての意。手を使わなければ進めないのだから、釜を持ち去るなど出来ぬというわけ。これは「敵が多く、こちらは少ないから、長く持たない」の意で、「持久するに難くある」のです。
力石智弘先生の著書『脳TEC漢文(ドゥクエスト)』より、返読文字一覧と「有・無・多・少」の例文を抜粋しました。【例文付き】漢文において返読文字とは、日本語と逆の語順になるため、下から返って読まなければならない漢字のことです。返読文字は、構文・語順を理解し、センター試験頻出の白文問題に対応するためには重要です。本記事では、「有・無・多・少」の例文と意味、読み方、働き、覚え方について、大手予備校一流プロ講師が構文レベルから詳しく解説します。「有」「無」と同類のものとして、「多」「少」も挙げておきましょう。この文には「者」がないので、どこまでが主語かは意味上の判断によります。河合塾、四谷学院など予備校・学習塾で活躍する現役ベテラン国語講師。京大理学部という理系出身こその論理的な解法と多種多様な知識・経験から繰り出される授業は最高傑作と評される。東大模試の作成や、神戸大学個別試験(国語)の解答速報作成(新聞にて掲載)など多岐にわたり活躍中の実力派講師。しかし、「能」だけが主語なのか、それとももっと長いのかは形の上では分かりません。センターの白文問題に対応する実力を付けられるよう、根本的に理解しておきましょう。「花発」のSV構造の下に、「風雨」が「多」いという構造が並んでいます。せっかく花が開いたというのに、風もよく吹き雨もよく降るので、すぐに散ってしまうという惜別の情を述べたものです。訓点の付け方及び書き下し文は次のようになります。漢文(中国の古典語)はもともと外国語なので、日本語とはまったく異なる構文です。特に、動詞(他動詞)と目的語の関係、助動詞と動詞(などの自立語)との関係は日本語と正反対であり、そのため返読する必要がありました。「有益」「無人」のように、「有」「無」という漢字は、その後ろに主語が来ます。 漢文の中でも白文読解は、返り点や読み仮名が排されているという意味で難しいものである。しかし、話の流れを掴む力や句法・単語の知識が備わっていれば、一見ノーヒントの文章でも文の構造が自然と見えてくるはずである。 後述する文型とも関連することだが、返り点を打つ場所はルールがあることを知っておこう。訓読では送り仮名は片仮名で書くが、書き下し文にするときは平仮名にする。漢文中の自立語は漢字で書き、付属語(助動詞・助詞)は平仮名で書く。また、再読文字は最初は漢字で、二度目は平仮名で書く。下の字からすぐ上の字に帰るときに用いる。したがって、下の文は「山に登る」と読む。これは「児孫の為に美田を買はず(訳・子孫の為によい田んぼを買わない)」と読む。この文は「此を観れば仏典の全くは誣ひずして、小説稗官も亦た全くは虚構より出でざるを知る(訳・この話から、仏典の全てがでたらめということはなく、噂や世間話のようなちょっとした話や位の低い役人(が集めたような話)の全てが虚構として生まれたわけではないことがわかる。)」と書き下す。全くの余談だが、漢文の文型を「英語と似ている」と訳知り顔で解説した参考書があれば、それを買うのは止めた方がよい。そういう参考書は大抵ド素人が作った、全編にわたっていい加減な内容のことが多い。現代の日本の学校の漢文教育で使われている漢文の規則は、江戸時代の訓読法を元にして明治時代に整理されたものである(このあたりの事情や歴史に興味があれば『精講 漢文』(前野直彬著・ちくま学芸文庫)などを読んでもいい)。ハイフンは厳密には返り点ではないが、返り点とセットで使われるのでここでまとめて解説する。レ点以外の返り点について熟語のように扱う。この文は「士は以て弘毅ならざるべからず(訳・道を志す者は心が広く意志が強くなくてはならない)」と読む。右から「我花を上野に観る」「人彼を奇才と謂ふ」「沛公(人物)樊噲(人名)を軍門より招く」と書く。もっとも基本となる文。ただし、一部の文字が述語になる場合は述語 ― 主語の語順になる。右から「雨降る」「春去り、夏来たる」「曹操(人名)は乱世の奸雄なり」とよむ。右から「我山に登る」「彼将軍と為る」「知は武より貴し」と書く。現代の返り点も、あくまで日本人が読みやすくするために、明治維新の以降の国語(日本語)教育で制度化されたものである。だから、返り点の位置を暗記する必要は無い。漢文の書き下し文の文意のほうを覚えるべきである。二字以上へだてて上に返って読むときに使う。下の文は「我書を学ぶ」と読む。一・二点をつけた句を中にはさんで上に返って読むときに使う。上点・中点・下点の順に読む。「~に・より」で返読する場合は前置詞(置き字)の「於・于・乎」のどれかを置く。ただし、省略することもある。「是れ百獣の走る所以なり(訳・これが多くのケモノが逃げた理由である)」と読む。多くの参考書にも掲載されているため、ここでもとりあげるが漢文の文型を暗記する必要は無い。あくまで漢文の構造をつかむ手がかり程度のものとしておきたい。また、「~なり」「~あらば」「~ずんば」などの書き下し文の送り仮名も、定期試験対策でなければ細かな言い回しの暗記は不要である。基本文に補語(~に・と・より)をつけたもの。補語になれるのは体言とそれに準ずるもののみである。漢文は元来、中国の文章である。また、現代のように句読点やカッコのルールがあったわけではないので、後世の日本人研究者たちが読みやすくするために句読点などをつけたものが「漢文」として紹介されていることにも注意。基本文に目的語(~を)をつけたもの。目的語は体言とそれに順ずるもののみで、場所は述語の後が原則だが、疑問代名詞が目的語になる場合は語順が逆になる。なお、高校では三点が登場することもあるので、それも見てみよう。そのためもあってか、学校の漢文では、漢文の発音では原則として歴史的仮名遣いを使い、文法も古典文法を用いる。上・下点を付けた句を中にはさんで上に返って読むときに使う。または、例文のように上・下点では返り点が足りないときにも使われる。甲点・乙点・丙点・丁点の順に読む。 漢文(中国の古典語)はもともと外国語なので、日本語とはまったく異なる構文です。特に、動詞(他動詞)と目的語の関係、助動詞と動詞(などの自立語)との関係は日本語と正反対であり、そのため返読する必要がありました。返読文字とは、そのような「他動詞」や「助動詞」以外に、日本語と逆の語順になる漢字のことです。 入試で頻出となる返読文字は以下です。 以下では覚えるためのイメージ付け、例文を解説していきます。 今回は、① 有無を表す表現 …「有」「無」「多」「少」の解説をして … ここでは漢文の読み方について解説する。返読文字と再読文字については別ページとしている。ここでは、返り点と 基本文型、その他の基本事項のみ扱う。なお、本稿では横書きとなるので、上付き文字に送り仮名、下付き文字に返り点を打っている。 優先して、重要なもの、知っていて当たり前のものから解説していきたいと思います。基本的には覚えることが中心ですので、細かい説明は少ないかもしれませんが、それは勘弁してもらって、試験前にざっとでもながめてもらって、実際の試験で出ればいいなあと思います。 漢文の受身の形と使役の形について説明します。 まず受身の形について説明します。 受身の助動詞『見』『被』 受身の助動詞『見』『被』を使った受身の形を紹介します。 受身の助動詞『見』『被』 ・読み方 … ・漢文の否定表現~不・無・非~書き下し文と読み方 ・ 置き字の意味・使い方・よみ方・一覧 テストに出ます , 再読文字 , 宜 , 須 , 猶 , 盍 , 再読文字の一覧 , 宜の読み方 , 宜の意味 , 須の読み方 , 須の意味 , 猶の読み方 , 猶の意味 , 盍の読み方 , 盍の意味 , 「有」は客語を取る動詞でありますが、日本語では客語を主語の如く訳します。「汝言有理」は「お前の言葉には理が有る」の如くするのです。しかし文法上はどこまでも客語です。金が有るは「有金」、能が有るは「有能」の如し。「以頭戴釜」は「頭を以って釜を載す」と訓みます。ひっくり返して「戴釜以頭」とすれば「釜を載せるに頭を以ってす」となります。意味は同じで、頭という方法で釜を載せるのです。「頭に載せる」ということを「頭で乗せる」という形式に於いて表しておるのです。裁判で無罪となったため喜んで、頭に釜を載せて帰っていったというのです。我蹇也毎控地而行非手則不能寸進何得持釜去也汝言有理我知告者為妄也盗喜即以頭戴釜而去自分の考へでは、文法研究も説明も文章論から入るが善いと思ふ。此れには反対論もある様であるが自分は固く之を信ずる。(註)「或」は副詞で修飾語でありますから、被修飾語の前に冠するのです。(註)「如、若、猶」はみな「似る」の意。花に似る ⇒ 如花(花の如し)、親に似る ⇒ 如親(親の如し)客語が動詞のあとに来ます。日本語と語順が異なるのはこれだけです。否定の「不」なども日本語と語順が異なるように感ぜられるかもしれませんが、「不」は副詞で修飾語でありますので、被修飾語の前に置かれるのです。「不の字に美人だ」などと同じ心持です。また使動(使役)を表すに、日本語では「悪人に殺させる」の如く動詞の後ろに助動詞をつけますが、漢文では「使」という修飾語を使って、「悪人にやらせるという方法で、殺す(使悪人殺、悪人をして殺さしむ)」という形式で表現するのです。すなわちこれも文法的には日本語と同じ語順なのです。異なるのは動詞や前置詞の後ろに客語が来るということばかりです。「使悪人殺」の例で申せば、「使悪人」は「殺」に対して修飾語であるので日本語と同じ成分配列でありますが、「使」の後ろに「悪人」という客語が来ている点は日本語と反対である、とはいえます。漢文の実力を附けるには初手から白文を使って勉強することです。上記のようなものをいきなり読むのは難しく思われるかもしれませんが、訓点附きの漢文を読んでもあまり勉強にはならないのです。詞と詞との関係を一々考えながら読むこと自体が勉強なのです。著者は滋賀で旋盤屋をやってます。1983年生まれ。早大法学部中退。2018年、高所ガラス清掃を辞めて大阪のバルブ商社入りましたが、滋賀の関連会社に左遷。2019年、旋盤で独立。漢文は自己流ですので悪しからず。第一の理由は、事物の研究は凡て粗より細に、全体より部分に及ぼさねばならない。それが極めて自然のことである。例へば家屋に就いて調べるのでも、外形や大体の構造、用途等から調べてはじめて間取り、材料等に及ぶのが自然である。まづ最初に局部局部が木か石か金か土かコンクリートかを調べて、然るのちに大体の構造などのほうに及ぶといふことは不自然である。更に一つ例を挙げて言へば、我々は如何なる順序で鳥や獣などに関しての知識を得るかといふにその外形から始めて、後に解剖的の部分部分に及ぶではないか。文法とても同様である。我々は、普通、単語を切れ切れに談話するのではない。即ち口で言ふのも、耳で聞くのも、共に一の文sentenceであって、単語は文の一成分としてのみ価値があるのである。それでまづ其の文について一通りの研究調査を試みて、然る後これを構成する一部一部の単語に進むのが極めて自然である。品詞論を後回しにする為に生ずる面倒も絶無ではないが、仮に一歩を譲って品詞論から入る困難と、文章論から入る困難とは、相殺されるとしても、或る人たちの懸念する様に、品詞の知識のないものに文章論がどうして分かるか、などといふやうな事は断じてない。ここでは文章論というほど大げさなものではありませんが、一通り漢文の構造を述べておきたいと思います。品詞については入門の段階ではあまりうるさく言うべきではないでしょうから、先に文の構造を扱うのです。説明の過程で品詞名が出てくることもありますが、あまり深く考えず、名詞と云えば「草木山川」の如き単純なもの、「本を読むこと、子供が親によく孝行すること」などの如き複雑なもの、動詞と云えば「泣く、笑う、食べる」の如き単純なもの、「泣いて笑う、月が東山の上に出づ」の如き複雑なものを観念していただければ、それでよいです。特に複雑なもののほうの考え方には慣れておいてください。松下文法に所謂「連詞的品詞」です。(註)「莫」は動詞。「于」も理論上は動詞でありますが、今は単に前置詞と考えるもよい。いづれにしても客語(不知足)が後ろに来ておることに変わりはありません。実は漢文特有の構造はこれに尽きるのでありまして、あとは国文法なり英文法なりの知識を応用してゆけばよいのです。たとえば「~べし」の如き意を表す「可、當、應、合、宜」などは国文法の助動詞とは異なり、皆英文法の助動詞(auxiliary verb)に当たるもので、shuold、mustなどと同様に心得ておけばよいのです。「可」と云えば、「~するに可なり」の意で「~す」の部分には実質的意義を表す動詞が来るのです。「可食」と云えば「可」も動詞で、「食」も動詞なのです。「食」は動詞でありますが「可」に対して客語です。こういう形式動詞の類は其の都度覚えてゆけばよいです。最後に少し練習して終わりましょう。「蹇(けん)」はちんばのこと。「毎」は副詞(前置詞)で「つねに」の意。「非手則」は「手にあらずんば、または手にあらざれば則ち」と訓み、「手でない場合は」の意。「不能」は「~する能(あた)はず」と訓み、出来ないの意。「能」も其の後の「得」も可能を表す動詞で客語を取ります。ここでは「寸進」というのが「寸進する」の意の動詞。「寸」は「進」に対する修飾語。「進寸(寸を進む)」とすれば「寸」は「進」に対して客語。「何」はどういうわけあいあっての意。手を使わなければ進めないのだから、釜を持ち去るなど出来ぬというわけ。これは「敵が多く、こちらは少ないから、長く持たない」の意で、「持久するに難くある」のです。