物語中盤、顔に腫瘍がある男のあたりで感じたのは、この映画タイトルでもある「アンダー・ザ・スキン」という言葉。 それまでの男は「社交的で小綺麗な顔」の下には「下心や醜い欲望」が隠されていました。 話題が『ラ・ラ・ランド』へと移ると、町山は「本作は『ラ・ラ・ランド』が明らかにこの映画の軸になっている」と言及。「どちらの映画もグリフィス天文台が登場するが、『ラ・ラ・ランド』のセバスチャン(ライアン・ゴズリング)とミア(エマ・ストーン)ではプラネタリウムを上に向かっていきますが、本作のサムは、どんどん地下に潜っていく。これは、デヴィット・ロバート・ミッチェル監督自身が実際に10年くらいシルバーレイクに住んでいて、サムのように中々芽が出なかった時の想いや経験を反映されている」と語り、「そんなサムをエマ・ストーンの元婚約者のアンドリュー・ガーフィールドにやらせたのも良いなと(笑)、本作は残酷なキャスティングも面白い」と独自の視点で称賛した。本作は、2015年アメリカで4館から1600館に拡大公開され、全世界で大ヒット。クエンティン・タランティーノに「こんなホラーは観たことがない」と言わしめた、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の最新作。セレブやアーティストたちが暮らすL.A.の<シルバーレイク>を舞台に、失踪した美女サラを探すうち、街の裏側に潜む陰謀を解明することになるオタク青年サムの暴走と迷走が描かれる。主人公のサムを演じるのは、「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのアンドリュー・ガーフィールドだ。アンドリュー演じる本作の主人公・サムについても「明らかには描かれていないが、そうしてシルバーレイクがオシャレになり家賃が高くなったことで、今まで通り住めなくなってしまった人物だと推察します。サムのような人は、本当にハリウッドに多い」と語った町山。客席から「劇中のシーンが、どこから夢でどこから現実なのか分からない」と聞かれると、「確かに、サムが見たからといってそれが現実なのかは途中から全く分からなくなる。辻褄を合わせようとするとどんどん深みハマってしまう作りになっているところが面白い」と解説。10月13日(土)より全国で順次上映されている、映画『アンダー・ザ・シルバーレイク』の公開記念トークショーが、公開初日に東京・新宿バルト9で開催。映画評論家としてお馴染みの町山智浩が登壇した、イベントのオフィシャルレポートが到着した。初日は各劇場満席が続出するヒットスタートとなった本作。登壇するや、早速映画を観終えたばかりの観客から感想や疑問を聞きに回った町山は、導入として、「シルバーレイクいう街は、16~7年前は変な人しか住んでいなかった」と述懐。「僕が訪れた時も、首元に垢のついたワイシャツを展示する服飾アーティストや、テルミンしか使用しないバンド、ゲテモノしか置いてないレンタルビデオ屋に一日中いるZ級映画の研究家など、ピンクのキャデラックを乗り回す職業不明の金髪美女など、『この人たちは何をしている人なんだろう』って分からない人たちが沢山住んでいたんです。コーエン兄弟も売れていない時にシルバーレイクで女優とシェアハウスしていました」と続け、「でもジョセフ・ゴードン=レビットやジェームズ・フランコが家を買ったことで、土地の値段が上がり、一気にオシャレな街になった。かえってアート系の人々が住めなくなり、昔の文化としては廃れてしまいましたが」と説明した。最後に、「この映画は日本で言えば、六本木とか吉祥寺でも作れる話だなと思いますよ(笑)。『あそこで有名な人が歌っていた曲を探っていくと実はこんな謎が隠されていた』みたいな物語。こういう話は実はいっぱいある」と述べた町山は、「ロバート・アルトマン監督の「ロング・グッドバイ」が非常に近い。あとは、ミッチェル監督も言っていましたが、アルドリッチ監督作『キッスで殺せ!』や、デヴィッド・リンチ監督作『マルホラント・ドライブ』の要素もある」と次々に例を挙げて解説。「主人公が途中まで何を追っているのか観客には分からない、とんでもない“ハリウッド迷宮もの”を監督は作りたかったんじゃないか」と分析しつつ、「本作は、北米公開が日本よりもあと。皆さんが先に観た感想をアメリカ人が読みますよ(笑)。中々珍しいですよね」と貴重な機会として本作をPRした。さらに、町山は、ヒッチコックやマリリン・モンローなど本作に登場する無数のオマージュについて、「本作は、“夢”に関する映画が多く元ネタになっている。劇中、サムの母親が大好きな映画として登場するジャネット・ゲイナーの『第七天国』も、ラストが夢なのか現実なのか、当時から論争になった作品」と分析。続けて、「この作品を観たデイミアン・チャゼル監督が、『求めている願望が現実として描かれるエンディングが素晴らしい』と感銘を受け、『ラ・ラ・ランド』のラストで描かれる、“別の時間軸”のエンディングを作ったんです」と話した。 オフィスで無理にヤられちまって…。一体何だってんだ!? 町山智浩の映画ムダ話104 デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督『アンダー・ザ・シルバーレイク』(2018年) 。 ハリウッドの栄光を目指す者たちが住むシルバーレイクを震撼させるドッグ・キラーとは? 墓石は? ソングライターは? 『第七天国』は?
アンダー・ザ・スキン 【短編】 1巻|大人しかった部下が突然豹変!? とにかく映像だけをそのまま受け取ってしまったら「ちょっと意味わからん」となる映画ですが、その裏に秘められているものを追っていったら「無限の考察」が待っている映画です。まるで泥沼のような映画です。彼女は演技力も素晴らしいと思いますので、これで顔が好みであれば文句の付け所のない女優なんですが・・・惜しい。とにかく作品全体が間延びしたというか・・・テンポが悪いというか・・・だらーりとした表現になるので、そういう映画だと気づくまでは違和感を感じます。そのくらい、この映画は全編にわたって「映像の裏にある何か」を感じさせる作りになっていますし。しかし腫瘍がある彼は「一見醜く、排他的な表面」の下には「純粋に人と触れ合いたいという欲求」などが秘められていました。人によっては「映画」として見る事すらできないかもしれません。ものすごく人を選ぶ作品です。そしてそういう映画になってくると、人によって解釈や考察が大きく異なってくるので・・・こういった場所で自らの感想を書くのが危険でもあります。ちょっと太るとと寸胴ボディになってしまう危険性も孕んでいますが・・・今作でのヨハンソンはわりとバランスの良いオールヌード披露してくれています。たしかに人間の食べ物であるケーキを喰ったら吐いてしまいましたし…最後に明らかになる謎の女の正体は「名探偵コナンの犯人」のような真っ黒な存在でした(笑)たしかにこの映画のあらすじを書けといわれたら、それはもう困ってしまうところでしょう。ええ、私もこのあと書かなければならないので、非常に困っています(笑)本気でアレコレと考察を書けと言われたら、何文字あっても足りないくらいですが・・・まぁどうせいくら書いても、程度の低い事しか書けませんし(笑)今回はちょっとなんとも言えない気分になる1本でしたので、次回は思いっきり突き抜けてバカな映画を観たいと思います。バランスをとるために(笑)もしかしたら「捕食」という事すら、こちらが考えているような内容ではないのかもしれません。彼女が『エイリアン』なのか、それとも『美しい容貌に黒く醜い本性を持った女性』を表しているのか、それとも違った何かなのか・・・私のお脳ミソでは「こうかもしれないな・・・いや、こういう事も考えられるな・・・」といった感じでモヤモヤした形にしかなりませんが、少なくとも「エイリアンが男を騙して喰っちゃうぞ!」というだけの作品ではないというのは明らかですし、いろいろ考える余地が残されているというのは映画の醍醐味でもあります。なんとも言えないマヌケな・・いえ、独特で精神を侵食してくるような音楽が流れ、男はヨハンソンの裸体に魅せられて追っていくものの・・・決してたどり着く事はできず、少しづつ沈んでいく。なんでこの映画であの「あらすじ」になるんでしょう。私はU-Nextでの鑑賞でしたが、他の配信サービスを見てもやはり「そうじゃないだろ」的な紹介文になっています。スカーレット・ヨハンソンと言えば尻。すらっとした美しいボディラインではなく、ムッチムチの肉感が魅力です。実際には「普通にエロい流れになり、気づかないままに捕食されちゃった」という事柄を、ああいう形で表現しているのだと感じました。私は他人と価値観がズレているのは重々承知の変人ですので、別に批判されるのも否定されるのもかまわないんですが、たまにすごく面倒くさい人がいるんですよね・・・。ムキになって否定したり、自分のブログやレビューサイトで「こんな事を言ってた人がいますが、それは違います」みたいな事を書きたがる人が多すぎます。第一、あんな真っ暗で無限に広がっているような空間に入ったら「なんじゃここは!?」となってしまいます(笑)観るべきは映像そのままではなく、映像と演出で何を表現しているのか…になってきます。印象的な「捕食」のシーンも、私はあの映像そのままの出来事があったとは思いませんでした。白いバンに乗った謎の女(スカーレット・ヨハンソン)は、その美しい容姿と妖艶なボディを利用し、男達を捕食するエイリアンだった・・・・てなことを「あらすじ」として書かれている今作ですが、そんな映画じゃない気が・・・。お色気うっふんな雰囲気で男を誘い、大人の展開からのエイリアンがグギャーで血がぶしゃー!!ペロリごちそうさま。私にとっての映画は『変人』と『尻』が出てくればそれだけで最高なんです。男の視線は謎の女の裸体にくぎ付けで、もう頭の中はヤる事しか考えてないような表情で服を脱ぎ棄て、追い続ける。しかし謎の女は決して距離を縮めさせる事はなく、一定の距離を保ったまま後ずさりを続け・・・少しづつ、気づかないままに男は沈んでいく。物語中盤、顔に腫瘍がある男のあたりで感じたのは、この映画タイトルでもある「アンダー・ザ・スキン」という言葉。どうせ考察したところで低レベルな戯言しか書けませんし、ココは本来バカみたいな感想を垂れ流すカオスなブログですから・・・小難しい事を書くのはもうやめましょう。おそらく私以外にも「え?こういう映画だったの!?」という衝撃を受けた方は多くいるのではないでしょうか。今の時代は多いじゃないですか、自分と違う見解の他人を受け入れられない人。それを感じ取ったからこそ謎の女は彼を捕食できず、鏡で自らの顔を見ながら自問し、ああいった行動に出たのではないかと思います。あれは「謎の女により家へ招き入れられ、その妖艶な魅力に欲情し、夢中になっているうちに徐々に取り込まれていく」という事を独特の映像表現で表しているのではないかな・・・と。それまでの男は「社交的で小綺麗な顔」の下には「下心や醜い欲望」が隠されていました。