上川管内東神楽町の田中紀帆(たなか・きほ)ちゃん(4)は、平仮名の勉強を始めて疑問に思ったことを質問してくれました。「どうして平仮名の『い』に『てんてん』(濁点)が付かないの?」 疑問を調 … ※五十音図の縦の並びを「行」と言い、 横の並びを「段」と言います まず注意深く確認してほしいのは、 「ア」行と「ヤ」行と「ワ」行です。 ★現代文と違う「ゐ」と「ゑ」の存在に注意!
上川管内東神楽町の田中紀帆(たなか・きほ)ちゃん(4)は、平仮名の勉強を始めて疑問に思ったことを質問してくれました。「どうして平仮名の『い』に『てんてん』(濁点)が付かないの?」岡田さんは「濁点の付いた『い』を無理に声に出すことができるかもしれませんが、どんなに頑張っても変な『い』にしか聞こえないですね」と話します。濁点が付く仲間と、濁点が付かない仲間にはどのような違いがあるのでしょうか。その違いを知るため、まずは濁点が付く言葉について考えてみましょう。「い」など濁点の付かない平仮名は、そもそも日本語として、濁点を付けて表現する音がないため、表記としても濁点を付ける必要がないのです。人気漫画「ONE PIECE」第590話に出てくる主人公ルフィのせりふを見てください。この手法は「オンデマンド調査報道」(JOD=Journalism On Demand)と呼ばれ、読者と記者が会員制交流サイト(SNS)やメールなどを通じて情報交換しながら取材を進めていく双方向型の新たな調査報道として注目されています。実は、濁点が付かない平仮名に、濁点を付けて気持ちを伝えようとすることもあります。漫画などで見かけたことはありませんか。言葉は長い時間をかけて、その時代の人が使いやすいように変化してきました。遠い未来に濁点の付いた「い」が普通に使われているかもしれませんね。(佐藤圭史)一方、「い」は濁点の付く分身がいません。焼いた「いも」も「焼きいも」にしかならないのです。例えば「さ」は濁点が付くと「ざ」になります。「さ」と「ざ」は声に出すと違って聞こえますが、「分身のようなもの」と岡田さんは言います。疑問を調べるため、北海学園大人文学部講師で日本語学を教える岡田一祐(おかだ・かずひろ)さん(33)に話を聞きました。なぜ「やきさかな」と言わないのでしょうか。岡田さんは「これで絶対という決まりはありませんが、『ざ』を使うことで言葉の一体感を高めていると言えます」と説明します。読者の皆さんが日々の暮らしの中でキャッチした疑問や声を取材の出発点に、記者と共同作業で謎を解き明かしていきます。平仮名には、濁点が付く仲間と、濁点が付かない仲間の二つに分かれます。五十音図を見てみると、「か行」「さ行」「た行」「は行」には濁点が付きます。例えば「魚」は、声に出すと「さかな」になります。でも焼いた魚は「やきざかな(焼き魚)」と言いますね。「さかな」だったり、「ざかな」だったりしますが、同じ「魚」です。岡田さんはこのせりふをこう説明します。「『る』に濁点を付けることで『仲間がいるよ』では伝えられない主人公の思いを表現しているのではないでしょうか。漫画を読み進めてきた人が思い思いに、『仲間がい◆よ!!!!』を想像していると思います」でも、「い」を含めた「あ行」「な行」「ま行」「や行」「ら行」「わ行」は濁点が付きません。岡田さんは「『い』は濁点が付かない仲間に入ります」と教えてくれました。ここは仲間の死で落ち込んでいた主人公が自信を取り戻す場面です。
卒業式や入学式で生徒の名前を五十音順に並べ,読みあげます。たとえば,高田(タカダ)→ 高谷(タカタニ)という順序で名簿が作られていることが多いのですが,「濁音は清音より後ろ」とよく聞くので,高谷(タカタニ)→ 高田(タカダ)の順にした方がよいのかと迷うことがあります。 五十音(ごじゅうおん)または五十音図(ごじゅうおんず)とは、日本語の仮名文字 を母音に基づき縦に五字、子音に基づき横に十字ずつ並べたもの。 また北原白秋による詩『五十音』が存在するが、これについては後述する。 江戸以来の外来語に多く必要な様も思うが、百人一首の読み札にもある。勿論発音が先にあっての必要性とも思うが、そこを宜しく教えてください。あ!ちっちゃい「つ」に付いても。こんにちは。ちょっと長くなりましたので、これ以上は百科
五十音図のガザダバ4行のかなに対応する音節を伝統的に濁音とよび,かなの右肩につける[]を濁音符また濁点という。清音に対する濁音であること,また濁音になることを〈にごる〉ということがある。清音と濁音との対立は,必ずしも無声音と有声音との対立に一致しない。
たとえば「は」行などは(ば・び・ぶ・べ・ぼ)のように濁点をつけることが可能なのに、「な」行や「ま」行などには、なぜ濁点がつかないのでしょうか。できれば学問的または歴史的な答えがあれば教えていただきたいと思います。よろしく
文学・古典 - たとえば「は」行などは(ば・び・ぶ・べ・ぼ)のように濁点をつけることが可能なのに、「な」行や「ま」行などには、なぜ濁点がつかないのでしょうか。できれば学問的または歴史的な答えがあれば教 江戸以来の外来語に多く必要な様も思うが、百人一首の読み札にもある。勿論発音が先にあっての必要性とも思うが、そこを宜しく教えてください。あ!ちっちゃい「つ」に付いても。ありがとうございます。私がかってに想像していたことも多かった。万葉仮名では別々と初めて知った。百人一首では、読み札の8割には濁音があるように思う。(確かに数えてはいないが)百人一首といえば、平安から鎌倉(自信なし)濁音をどのように運用(書く、読む)していたのだろう興味が沸きます。一二日後に、国語、」百人一首で再質問になると思います。家の中で過ごす時間が多い今だから、家での楽しい過ごし方や、有効なアイデアなど、参考になるアイデアをまとめました。なぜ濁音を専門にあらわすひらがなやカタカナがないのでしょうか。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!たとえば「は」行などは(ば・び・ぶ・べ・ぼ)のように濁点をつけることが可能なのに、「な」行や「ま」行などには、なぜ濁点がつかないのでしょうか。できれば学問的または歴史的な答えがあれば教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。私の補足が悪かったのか、あなたの返事が素晴らしすぎたのか、1通で終わってしまった。ともあれありがとう。