『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』について質問です。 前作の最終回でジョーはギャラクターとの闘いの途中で病死しましたよね? なのになんで本作では生き返ってるんですか? 補足 k_yozora_k様、ご遠慮なくネタバレして下さい。 紅三四郎OP 歌 堀江美都子 STEREO. はい、というわけで、結局いつもの調子で物語を追いながらの感想記事も作っちゃいました。 なので、前回の記事で書いたことについてはあまり言及せず、さらりと行きたいと思います。(といいつつ、本文5000字以上はある) 今回 …
ボルテスVの歌/堀江美都子、コーラス こおろぎ'73、コーラス コロムビアゆりかご会 - Duration: 3:08. juke box 232,698 views 「みんな」から外れてしまった二人は、それぞれ自分で考え、自分がしたいこと、自分がすべきことを探したのでした。感情に流され、集団となって吹き上がるだけで、物事を深く考え、自分が個人として主体的にするべきことをみつけることができない「みんな」。結局危惧されたとおり、以前の空気は止まったけれど、また別の空気に流されているだけ。孤独で寂しい人間は、一人で考える不安に耐えられない。でも、自分の気持ちに気付いて、自分がしたいことを知っていくためには、誰かにそれを教えてもらっているのではいけない。そうしないと、どんどんわからなくなってしまう。何度も言いますが、はじめちゃんははじめちゃん自身の望みのために殉じたのであって、自己の命を外の誰かのために優先させたのではありません。彼の言う2:6:2の話に言及すれば、上位の2の人は以下の人を「信じて」働きかけるべきだということです。以前のリズムくんは皆が内発的であれることを理想と考えながらも、「信じて」いなかったわけですね。それに対して、るいるいやはじめちゃんは「信じる」という「賭け」をやり続けてきた。僕の言うところの「ヒーロー」というのは、後者の姿勢でもって、実際に人に影響を与えることのできる人のことです。リズムくんはまさにその「ヒーロー」を目の当たりにして、少しは人間を信じようという気になったのだと、僕は思うわけです。かつてカッツェからクラウズの力を与えられ、結果的に社会を窮地追いやってしまった累くんは、はじめちゃんの選択の危険性を訴えます。ゲルサドラを救いつつも、今の空気を打ち壊す。それをできるのが、カッツェを取り込んだはじめちゃんだけ。だから、しょうがないけれどヒーローとして自己犠牲を払う――というようなお話の流れ出ないということは前回の記事で書きました。O.D.の言う通り、この「決断」は、はじめちゃんによる、はじめちゃん自身の「望み」のためのものです。僕は、彼が見ているものというのは、「みんな」とは違うのだと思います。まあともかく、そこらへんは主題でないので、とりあえずはここらへんが今の「みんな」にはいい塩梅なのかもしれません。そのことを不十分さに、あれ、おかしいぞ、と気付くには、また別の事件が必要なのかもしれませんね。感情的に空気を形成するのではなく、物事を深く考えようと、少しづつではあるが、人々が変わってきている。僕みたいに深読みしてメッセージを受け取る人間としてはちゃんといただきました。るいるいがその危険性を承知しながらも、自らの「意志」のために可能性へと賭ける選択をしたことは、はじめちゃんがこれから為そうとしていることと同じだということとですね。まあしかし、代議士が代議士としての職務や約束を無視して好き勝手振る舞う場合は、決められた規則に基いてその責任をとるということはあるわけですけれどね。この意味がどう扱われてきたかは、吹き出し様の意味とかでいくらか言及しましたし、本編でもたくさん描かれてきたので大丈夫ですね。その譲れないものというのは、恐れず自分と向き合って、自ら考え続ける中でようやく獲得できるものなのです。むしろ、それぞれ違う人間が寄り集まって、それでもその違う他者同士が共に共有できる「空気」が作れるとき、それこそが本当に目指すところなわけですね。みんなが以前よりちょっとだけゆっくり深く考えた結果、ゲルちゃんを地球に残すということで選挙は終えられる。その結果は極端なものではなく、異なる意見がせめぎ合うものであった。まさしく、はじめちゃんの行為を尊い自己犠牲だかなんだかに勘違いしてる奴が書いた文章です。空気に流されるだけの人がいる一方で、立ち止まって中和しようとする人がいる。最初こそ元気に発破をかけるはじめちゃんですが――跳ね飛ばされ、叩きつけられ、切り刻まれ、燃やされれば、当然の如く耐え難い苦しみに悶える普通の人間に過ぎません。なので、前回の記事で書いたことについてはあまり言及せず、さらりと行きたいと思います。(といいつつ、本文5000字以上はある)空気が人の内発性を排除してしまうとき、それは大変危険なものとなりうるわけですが、人々が形成する「空気」そのものが「悪」なのではない。エピローグではその後のみんなの姿が描写され、はじめちゃんも何事もなかったのように復活して、大団円となりました。まあ、はじめちゃんすきすきーな僕が言いたいことは、前回の記事で、いかにはじめちゃんが素晴らしかと延々書き連ねたのでもうこれ以上はいいでしょう。1クールアニメとしての評価とか、アニメという媒体としての主題の描かれ方の成否とかは僕はあんまし言いたいこともないので、それはどこかの誰かにお任せします。人々が変わり始めるのと共に、ゆるじいの将棋の盤面もようやく動く。それでは、最後ですが、いつもの調子で書いていきたいと思います。僕はこの台詞、内田さんの演技もあって、凄くぐっときてしまう。涙腺が緩む。献花の中のメッセージに「そしてあなたは私たちの為に生きてくれた」とかありますけれど、これ鳥肌たちますねwwwはい、というわけで、結局いつもの調子で物語を追いながらの感想記事も作っちゃいました。このことは次のシーンにおけるつばさちゃんの選択と、はじめちゃんの台詞に繋がります。しんどいかもしれないけれど、自ら考え、自ら決断するということを経験していくしかないのです。みんなで考えた末に、自分たちが為すべきことを決断した鳥たち。空高く飛び上がる彼らを見上げながら、ただその流れに混じるのではなく、わからないことをわからないままに自ら考え続ける青き翼。多数派にそう決められたからそれに従うのではなく、自ら願った想いが遂げられたことに、ゲルちゃんは心からの喜びをその表情に浮かべる。espressonさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?というわけで、ゲルちゃんの処遇について、みんなに今一度ゆっくり考えることをつばさちゃんは求める。はじめちゃんが望んだものはこんなことではなく、みんなが主体的に考えて、自分自身を生きてくれることだったわけです。そんで、僕の興味と、僕ができる語り口みたいなものについては、色々言えたんじゃないかと僕自身は満足しているので、前回の記事の繰り返しですが楽しかったです。「みんな」が気付かされたものはあくまで「くうき」の危険性に過ぎません。自分たちはそれに絡み取られて、何か大変なことを犯し得るということに思い至ったに過ぎない。その時点ではまだ主体性があるとまではいえません。僕の考えで言えば――まだ彼らは「ヒーローになり得る」者になったに過ぎない。それも含めて、主体的に考え、政治参加するということが、真に理想的な市民社会なのかもしれませんが、実際的には、与えられた選択を選ばざるをえないという状況があるわけですね。当然そこには、変なものに引っかかるリスクはあるわけですが、そこをどうクリアしていくかということを考えることを含めて、大切なことではないでしょうか。もっとエンタメとしてうまい「表出」ができたならば名実ともに名作となりえたかもしれませんが、表現したかったことはまあ出し尽くせたのじゃないでしょうか?僕が書いてきたことに納得してくれる人はわかってもらえるかもしれない。それでもはじめちゃんは、自分に「負けまい」と――ヒーローとして、「自分の譲れない意志に殉じる」ために、もう十分だと庇うつばさちゃんを諭すのです。 【ガッチャマン クラウズ インサイト】12話最終回感想bs地方民 自分の意思をしっかりと考え持つ: ちほ速 bsアニメ感想まとめ 『ガッチャマンクラウズ インサイト』12話(最終回)感想 空気に流されずに自分で考えることが大事! 萌えオタニュース速報
そして、ガッチャマンの生みの親である南部博士やガッチャマン2号のジョーが敵になってしまうストーリーのようです! 「劇場版 Infini-T Force/ガッチャマン さらば友よ」本予告