高い料金に見合ったものを提供しないといけない、という幻想があります。めちゃくちゃなこと言ってますが、愛されているのだから迷惑かけていいのです。それで「迷惑をかけちゃいけない」と思うと、しっかりとあなたに迷惑をかけてくる人に出会います。それを証明するように、あなたに迷惑をかけてくる人が出てきます。自分を認められず、他人も認められないループから抜け出せないということです。豊かなヨギーになるためにBTYとSUWARUを開催しております。やりがいのあることというのは、人の役に立つということと深く関係していると思います。「値段しか見えないのでしょ?」ということを思っているわけです。そうやって、裏で宣伝してくれているのですから有難いことでしょう。言い方を変えると、自分を卑下して、他人も卑下するループから抜け出せないということです。ですから、認めてもらうためや満たされたいという思いを強く持つ必要はないのです。心屋仁之助さんの「一生お金に困らない生き方」「好きなことだけして生きていく」を読んで面白かったのでお金に困らなくなるヒントを沢山書いてみました。頑張るのをやめると、周りからは頑張っていると思われるということです。こうやってヨガの世界にいますが、以外と影で文句を言われたりしているらしいです。その状態を一緒に楽しんでくれる人たちを大事にしていけばいいのです。切り替えると頑張らなくてもいいので、好きなことを好きなだけやります。すると、迷惑かけてはいけないと思っている人よりか、迷惑かけなくてすみます。良くできているもんで、迷惑かけてはいけないと迷惑に集中すると、迷惑があなたに起こってきます。存在給が上がるポイントは、何も持っていない私が貰ってもいいと思えることです。〒141-0021 東京都品川区上大崎3-10-50 シード花房山S+205瞑想にはいろんな効果があるとされておりますが、値段はピンキリです。こういう値段を楽しく払えること自体、存在給が高い人に感じます。オートロックとなっております。入って左手の階段を登り、左手の部屋になります。開始10分〜15分前くらいにお越しください。安くすることしか考えていない人は、要するに人をバカにしているということです。しょうがないのですよね、愛されているのですから、こればっかりは。自分のことがまだまだできていないのに、人に何かしてあげることで承認欲求を満たして、必要な存在であるアピールをするということでしょうか。不思議なものです。また下の二冊「いいかげんに、生きる」「がんばっても報われない本当の理由」の感想を書きながら適当に綴っていきます。わたし自身、人に迷惑かけまくって生きているのに(迷惑かけてるからこそ)役立ちたいと思ってしまうのも面白いものです。その楽しい状態を一緒に楽しんでくれる友人たちを友達としていけばいいのです。やりがいのない仕事はとても退屈であり、存在給も下がっていきます。(努力して自分の価値を認めさせる行為がたくさん発生させるから)どうせ、周りもそんなに気にしていませんし、周りの人たちも自分のことが気になっていることが多いです。”だから”というのはどっから出てきたのか、という話ですが、愛されているのだから迷惑かけていいのです。 会社をサボったら仕事のことは考えない. 仕事をサボった時、注意すること. 罪悪感は捨てていくことです。 私には価値があるのです。 もらってもいいのですよ。 自分には価値がないという罪悪感はいりません。 幻想なのです。 突破しましょう。 幻想なんですから、突破できます。 あなたは価値があります。 もう罪悪感でいっぱいです。仕事を2日連続で休んでしまいました。土日の週休を入れたら4日連続です。昨日はサボりではなく本当に体調不良でした。1日休んだので、全快とはいきませんが休む必要もない感じです。明日から頑張ろうと思っ
いざ会社をサボったのであれば、罪悪感を捨てるのと同時に、 会社や仕事のことを脳内から消し去りましょう。 サボってないときであっても、家にいる時間や休日に、 あとは心構えなわけですが、 罪悪感 ... 私は本当の仕事をしていた時より、サボっていた時の方が態度が良かったです。 周囲に「おっ、あいつは頑張ってるな」と思わせて、実はアマゾンやwikiを読んだりすればよいのです。
★そんな競争心を手放したり、罪悪感を癒したり、自分らしい人生を見つける1日。大学生時代は多少それが緩んだかもしれませんが、その体勢を保ったまま就職しちゃう人も珍しくないと思うんです。だから、競争を続けていくとやがて燃え尽きてしまうのはお約束なんですよね。また、最近はリモートワークも増えてきていますし、来る東京オリンピックの期間などは「出社するな!」とのお達しがすでに出ている企業もあるそうで、その間は在宅で仕事をする、という人も出てきますね。仕事をきちんとしなきゃいけない、サボっちゃいけない、という思いがあるとすぐに罪悪感が顔をのぞかせるわけですけれど、そもそも何でサボっちゃいけないの?それってサボってることなの?という風に考えてみると世界がいきなり広がるんじゃないかと思います。サボることが良いのか悪いのかの議論もあれば、これってサボってるの?という風にそもそも論で対抗することもできるんですけれど、Nさんが午前中ゆっくりしてるのをサボってるように感じてしまうのはなぜなんでしょう?そして、それってほんとうにサボってることになるんでしょうか?さて、さらなるそもそも論としては「仕事はちゃんとしなきゃいけない」という思い込みを取らなきゃいけないと思うんです。そうすると、仕事をしていない=サボってる、という概念にとらわれるようになります。・・・ということは、もしかするとNさんはちゃんとした女なんですね!!それが許せるようになる自分になるために、まずは「朝、したいことリスト」なんざを作ってみるのも良いかもしれません。ライフワーク的な観点からすると、仕事は中心的な役割を示すものの、あくまでライフワークの一部です。それであるお客様などは「きっと私、ものすごくだらだらしてしまって仕事なんてあまりしないかもしれない」などとおっしゃっているわけです。それが「この日は休んでいいよ」という大義名分を会社から与えられてる日はまだよいとして、そうでない日は「なんか、仕事してないって、罪よね」なんて思うものです。という、まさに武闘派魂溢れる根拠によって今の仕事に就いてるんですよね。とはいえ、私たちは長年の習慣によって「オフィスに行って仕事をする」と思い込んでいるので、「オフィスがなくなる」と「仕事をする場がなくなる」=「仕事をする気がなくなる」とお感じの方も珍しくないと思います。例えば、要領のいい奴なんかは、営業中に「ちょっと次のアポまで時間があるから」と言ってマンガ喫茶に入ってみたり、「なんか疲れが溜まってるんだよね」と言ってマッサージに寄ってみたり、車の中で寝てたりしますよね。パートナーシップ、友達、趣味、家族、健康などの要素の中のひとつに仕事があるわけです。そうすると、仕事をしていない時間=サボってる=ダメなこと、と思い込んでしまうのも無理からぬことかもしれませんねー。だから、いきなりオフィスがなくなったり、オフィスのない職場に転じるとどうしていいのか分からなくなることもあるでしょう。そうしてできることを証明しなきゃいけないわけですけれど、今はまだそれだけの結果を残してないってことなんですよね???きちんとした、まじめな、誠実な、人の期待に応えたい、いい人、であればあるほど、そんな自由な時間を楽しめなくなって、かわりに罪悪感が出てきてしまうんです。自分の気持ちがどうか、自分の状態がどうか、ということよりも、相手に負けないために、相手を打ち負かすために、ということが動機になりますから。もしかすると、Nさんはその「要領の良さ」という武器をどこかに捨てて来てしまったのかもしれません(仕事に関しては)。幼少期より学業に勤しんできた方、特に「受験」という巨大なる敵と日々戦ってきた皆さんは「何もしていない」=「サボる」=「いけないこと」=「お母さんに怒られる」=「受験に失敗する」などの思考の連鎖が習慣化されていると思うんですね。朝の時間を「サボる」のではなく「仕込み」や「リフレッシュ」という風に捉えられたらいいんじゃないかなあ、と思います。仕事を休めない、サボれない、休むと罪悪感を覚える、そんな方々の場合、誰かに対抗心、競争心を燃やしてるってこともあると思うんですよ。「お前にはできない」と言った奴に抜群の成果をあげて「おい、手前ぇ、あっしにはできねえってほざいてたな!覚えてるか?成敗してやる!」と啖呵を切らなきゃいけないでしょ?まあ、午前中はゆっくりできても午後からは仕事、とかなるとプレッシャーを感じながら午前中を過ごすようになるわけでして、私も基本的にアポは昼以降しかとらないので、朝起きた瞬間から「ジムに行くか?ふつうにジョギングするか?ブログはいつ書くか?」などを若干計算しながら過ごしています。本来は朝起きて「さあ、今日は何しようかな~♪」と思えたらいいんですけど、その手始めにリストを眺めながら「今日はコレ!」と選ぶことから始めましょうか。今回はサボる(休む)と罪悪感を感じてしまう件についてお聞きしたいと思います。しかし、女性は「プロセス思考」なので、結果だけではなく、その結果に至るプロセスも大事にしようとします。だから、成果を上げたとしても、それが罪悪感を刺激するような要素があるならば、満足はできません。・・・まあ、Nさんがそんなまじめな人なのかどうかは一考の余地があるとして(笑)となると、休むときはしっかり休んで疲れを取り、「おいおい、早く仕事がしたいぜ!」と思えるくらいに心身を快復させる必要があるんです。・・・でも、それでもいいんじゃないの?と私は思うんですけどねー。なぜ、いけないの??武闘派女子たちの集会につい間違って顔を出すと「男に負けてはいられねぇ」「男に認められるためには奴らの3倍は頑張らなきゃいけねえ」「あの女は仕事してねえのにちやほやされやがって」などの怨念が渦巻いていることが多いんですけれど、そうするとなおさら我が身に鞭を打って頑張らなきゃいけなくなりますよね?>そもそもやりたい仕事であったとは思っていましたが周りから「お前には出来ない」って言われてきた仕事だったので、出来ることを証明するためにチャレンジしたという動機も関係してるのかなとも思います。よいパフォーマンスを発揮するために、ちゃんと休む、ということ。一般的に男性は「結果主義」なので、成果さえ上げていれば問題ないだろう、という考え方ができます。だから、営業ならノルマを達成できそうな場合、あるいは、不達でも問題になりそうもない場合は、適当に仕事をサボってたりします。 * 仕事をきちんとしなきゃいけない、サボっちゃいけない、という思いがあるとすぐに罪悪感が顔をのぞかせるわけですけれど、そもそも何でサボっちゃいけないの?それってサボってることなの?という風に考えてみると世界がいきなり広がるんじゃないかと思います。